M's last diary

自分について知っているニ三の事柄

誰が英雄なのか?

織田信長濃姫の映画を観た。

話題作であったが、退屈な作品だった。

そもそも、織田信長には興味がない。何故、彼が英雄の様に扱われているのか理解出来ない。

彼の物語は有名なので、それなりに知識はある。それをベースにした映画や演劇、小説なども知っている。

しかし面白いと思った事がない。

自分には、ただの殺戮者だとしか思えない。確かに頭の良い男ではあったのだろう。いち早く鉄砲を取り入れて、近代的戦法で武田軍を打ち破った。それはしかし美談なのか?

 

歴史ドラマは英雄を描く。

織田信長豊臣秀吉徳川家康

どれも英雄とは思えない。

本当の英雄はもっと別の所にいる筈だ。

それを描くべきではないのか?

 

同窓生には会いたくない

同窓会には出ないと決めてから随分と経つのだが、その禁を破って参加してきた。

最近、世話になった人が上京して来たし、少人数なので、同窓会というほど大げさな会でもないと思い、これくらいなら良いだろうと思ったのだ。

結果としては、「やはり行かなければよかった」と思う。

誰の何が悪いというわけではない。みんないい奴だし、嫌な思い出があるわけでもない。では何が気に入らないのか……。

これは自分の長い間の悩みだ。

 

結局、思い出話が好きじゃないという事なのか。

とにかく退屈なのだ。

時間の無駄だな……などと思ってしまう。そしてそれが顔に出てしまう。顔に出ているだけならいいが、言葉にもそれが出てしまう事があるのだ。

退屈を紛らすために酒の量が増える。すると酔った勢いで、言わなくてもいい事を口に出してしまうのだ。そして、その後でそのことを後悔する。

 

やはりなるべく同窓会に出るのはやめよう。

 

 

 

インターネットはいらない

携帯電話とインターネットのなかった頃に戻りたい。

以前よく言っていた言葉だ。

正直、今でもそう思う事がある。

便利になったことは確かだ。私もその恩恵にあずかっている。しかし、煩わしくなったことも事実だ。

「人とつながっていたい」という欲求も判るが、「つながりたくない」という感覚もある。

この世で一番厄介なのは人間関係であり、ネットや携帯(スマホ)などには、関係を強要するような仕組みがある。

「既読」がつかない、と言ってイライラしている人を見かける。

「既読」にしたくないという感覚もある。

「既読」にせずに中身を見る方法、などという記事がネットに上がっているのを読んだことがある。

「つながる」煩わしさを感じている人は少なくないという事だろう。

 

人は孤独でいたい時がある。

孤独でいるときに、もっとも幸せを感じる人もいるだろう。

 

 

映画『生きる』のリメイク

黒澤明の『生きる』のリメイク、『生きる Living』を観た。

はっきり言ってガッカリした。

『生きる』はこれまでにも何度もリメイクの噂があった。アメリカのスコセッシ監督がリメイクを考えているという話も聞いた。黒澤監督がご存命の頃から、リメイクの噂が絶えなかった。それだけ魅力的な題材なんだろう。だが、なかなか実現しなかった。

今回、カズオイシグロ氏が脚本を書くという事で実現したと聞いた時は、驚いたと共に、一気に期待が高まった。ビル・ナイが主役だと聞いて、これは期待できると思った。イギリス映画を見るとよく見かける俳優で、自分の好きな俳優の一人だった。

しかし……。

名作のリメイクは難しい。特に外国映画の場合、その国特有の文化や風習の上に成り立っている事が多いので、別の国にアダプトするには大きな困難が伴う。アメリカで『生きる』のリメイクが計画されていると聞いた時には、アメリカでは無理なんじゃないかと思った。アメリカと日本では国民性に違いがありすぎる。しかし、イギリスが舞台なら話は別だ。イギリスの官僚制度や国民性は、日本と近いものがあるのではないか、と思ったのだ。

しかし、出来上がった作品は、私の期待をはるかに下回っていた。

カズオイシグロ氏の脚本は、基本的な部分ではオリジナルに忠実だ。しかし肝心なところが大きく違う。黒澤作品が丁寧に描いていた部分を省略し、逆に注意深く避けていた事を、描いてしまっている。

一番気になったのは、オリジナルの映画では小田切みきさんが演じた若い女性の役だ。彼女はお役所に勤めるのが嫌になり、すぐに辞表を出してしまう。主人公はこの少女のエネルギッシュな様に感化され、自分ももう一度「生きてみよう」と決心する。この少女に相当する役はリメイク版にも出て来る。しかしオリジナル程のエネルギーは感じない。どちらかと言うと大人しい女性になってしまっている。そして最大の違いは……。

オリジナルではこの若い女性は主人公の葬儀に出て来ない。リメイクでは出て来る。この違いは大きい。これには大きな違和感を持った。カズオイシグロ氏はオリジナルを理解していないか、好きじゃないのではないかと思った。

誰が葬儀に出席するか、そして誰が出にないかは、この映画にとって重要なポイントである。それを黒澤明は注意深く考慮してこの映画を作った筈なのだ。それを変えてしまっては……。

椿三十郎」の時にも思ったが、やはり名作のリメイクはやめておいた方がいい。そう確信した作品であった。

 

好きになれない人

好きな人に好きだと言うのは難しいが、嫌いな人に嫌いだというのは、もっと難しい気がする。

相手は昔の同級生で、同級生である事は確かだが、大した思い出もなく、友達だと思ったこともない。しかし同級生=友達と思う人もいるようで、彼がまさにそんな感じだ。

これでも多少の社交性はあるので、それなりに振る舞って来たのだが、「好きになれない」という感情まで誤魔化すことは出来ない。

最初にもっとはっきり拒絶しておけば良かったのかも知れない。中途半端に好意的な態度をとったが故に、向こうにもその気にさせてしまったのか……。

とにかく彼が「僕たち友達だよね」と言ったり「何でそんなに冷たくするの?」と問いかけられたりするたびに、「好きになれない」という感情がかえって悪化して、今では「嫌い」になってしまったのだ。

「お前の事なんか嫌いなんだよ」と言ってしまえば済む問題なのか?

それは相手を傷つけるだけなのか?

そうやって誤魔化しているうちに、事態はさらに悪化するのか?

無視してしまえば、いずれは沈静化するかと思ったりもしたが、そうでもないみたいだ。

つくづく「好きな人に好きだと言うのは難しいが、嫌いな人に嫌いだというのは、もっと難しい」と思うこの頃である。

 

 

映画について

長い間準備をしていた映画がやっと公開になった。

これはこれでとても嬉しい。評判も良く、大手メディアでも取り上げられて、客入りも悪くない。素晴らしい事だ。

しかしこれも既に終わった事だ。次に向けて何かを準備しなければ……。

 

最近つくづく思うのは、「映画とは何か?」という根本的な疑問だ。

映画の持っている本質的な可能性。それを追求したい。

そんな事を思う。

その為には映画の本質を知る事だ。

「映画はサイレントに戻って考えるべきだ」と敬愛する巨匠たちは言った。

サイレント映画から学ぶ事は多い。確かにそうかもしれない。

 

今度の映画では、それなりに実験をした。

実験と言っても、観客に理解が出来ない実験映画のような物とは違う。

誰にでも理解が出来、しかし映画ならではの手法という物だ。

思った以上に成果が出た所は多い。

思ったように行かなかったところもある。

次に作るとしたら、この手法をさらに推し進めていきたい。

映画には無限の可能性がある。

ある筈なのだ……。

 

 

吉田拓郎の引退

吉田拓郎が引退した。

コンサートで「タクロー!」と叫ぶ熱狂的なファンではないが、日本のアーチストで誰が好きかと聞かれれば彼の名前を上げるだろう。

リアルタイムに熱狂を共有した世代よりも私は少し若い。「結婚しようよ」や「旅の宿」のヒットは知っていたが、その後から来たアーチストたちを聴くことの方が多かった。しかし今、「吉田拓郎」はそれらのアーチストよりもはるかに私の興味を駆り立てる。

それは勿論、彼が作った楽曲の数々が魅力的であるという事が第一だが、それと同じくらいに、彼の生き様や歩いて来た道に興味と共感を持つのだ。

日本のシンガーソングライターの先駆け。フォークのプリンス。中津川の出来事。「結婚しようよ」「旅の宿」の連続ヒット。テレビ出演拒否。金沢事件。レコード大賞受賞。フォーライフレコードの設立。初の野外コンサート。ツアーシステムの確立。新人アーチストの発掘。社長業。アイドルや他のアーチストへの楽曲提供。

彼が開拓し、通って来た道は様々だ。一アーチストとしてだけではなく、業界のイノベーターとしての吉田拓郎は、他のアーチストとは比べようもなく大きい。

その中で一番興味深く、衝撃的だったのはフォーライフレコードの設立だった。

「アーチストが自ら作るレコード会社」

そのニュースを聞いた時、胸がワクワクしたのを覚えている。そこには自由の香りがした。

しかし現実は厳しかったようだ。フォーライフレコードは期待したほどの成果を上げることは出来なかった。原田真二という新人は生み出したが、アーチスト主体の自由な製作現場の実現は、思った様には行かなかったように見えた。

吉田拓郎自身が最後のアルバム(LP)の中に同封したエッセイの中で、フォーライフ設立について書いている。

「なぜ、ああも簡単に誘いに乗ってしまったのか?」

それより少し前にラジオでも同じような事を彼は語っている。

「あれは若気の至りだった。フォーライフは失敗だった」

その言葉に私はショックを受けた。と同時にその正直な告白に胸を打たれた。

「余計な熱量を使ってしまった」とも言っている。

あれがなければ、もっと違ったアーチスト人生があったと思っている節がある。

「自由な創作活動」を求めてレコード会社を作ったのに、結果としては「会社を維持するため」にアーチスト活動を停止して社長業に専念しなければならなくなった。

「社長業はアーチストには何の役にも立たない」とも語っていた。

これは誤算だったろう。

もしこの「余計な熱量」の消費がなければ、彼の90年代以降のアーチスト業はまるで違ったものになっていたかもしれない。

確かにそうかもしれない。だが、それも含めて私は彼に共感する。

いや、だからこそ、今になって「吉田拓郎」の名前が私には大きく感じられるのだ。

 

社長業を始めて、そのまま裏方になってしまうアーチストも多い。俳優業など他のジャンルに移行する人もいる。しかし紆余曲折がありながら、彼はアーチストに立ち戻り、ミュージシャンとしてその音楽人生を全うした。それが素晴らしい。

彼の様に生きてみたい。そう思わせる数少ない先人である。

吉田拓郎氏の余生に幸あれと願うばかりだ。